ガリレオの斜塔−1「創業期の試練」
地元八王子市はかつて繊維工業で活況し、ネクタイの生産高は国内有数の生産地であったが、繊維業の衰退に伴って繊維関連設備機械の企業は半導体関連装置へと事業転換した経緯があり、市内には半導体設備に関連する事業者が多い。
当社はメカトロエンジニアリングを事業の核として、製造会社の自動化設備機械の受託開発を主業として来たので、創業当時は地元の半導体製造装置を製作する会社から設計や製造の業務を受託していた。
半導体関連事業はシリコンサイクルという2〜3年周期の需要変動に大きく影響を受ける事業で、繁忙期は「受注残が2年先まである」という景気のいい話が聞こえる一方、需要に陰りが見られると多くの企業が外注への発注を止めて内製化し、更には人員削減などの合理化を実施する。
創業当時の平成4年から6年までの2年間は、丁度シリコンサイクルの繁忙期に当たり、恩恵を受けて当社も受注を増やした。しかし繁忙が長く続かないことを予見して、半導体設備の開発で培った技術を活かし、包装機械・食品機械・分析機器などの分野へ受注を広げて行った。
納豆をパック詰めをする自動化設備を開発から製造まで一括受託したが、受注した代金の8000万円を回収する前に発注先会社が倒産して当社は瀕死の痛手を被った。
年商が1億円に満たない当時であり、受注した装置の売上代金8000万円が回収できず、一方で調達した部品代6000万円は仕入先に支払わなくてはならなかった。資金はたちまち行き詰まり、日々駈けずり回って金作を続けた。絶望の創業期は当社の歴史の中で最も大きな試練である。
単発開発品を作ることの難しさと汎用技術で事業の領域を広げることの難しさを痛感した。
そこで翌年、量産品を開発から製造まで受注しようと考え、ゲーム機械へと受注活動を展開した。
年商200億円のゲーム機械メーカーから、ヌイグルミを入れた直径20cmの透明樹脂球を使った超大型のパチンコのような機械を受託した。透明樹脂球を割ることなく打ち上げた当社の発射装置の試作機が評価を受けて開発から量産までを受注することになった。
開発には相当苦労したが、何とか開発を完了して客先の承認を受け、次月から月産40台、12ヶ月間の注文を待ったが、1ヶ月が過ぎようとした頃、当社が開発したゲーム機が富山や新潟に設置されていることを知った。
早速、取引先に出向き確認したところ、当社が納めた図面を元に独自に製造を開始していることを確認した。契約違反を訴えたが、その取引先は翌月に負債180億円で倒産してしまった。
開発代金1500万円が焦げ付いた上、設計図面と試作機は奪われたのである。
納豆の製造機械で絶望し、ゲーム機で追い討ちを掛けられて、気力も体力も尽き果てた。
しかし試練は更に続き、借金を重ねて何とか社員17人分の給料は遅配すらしなかったが、2年連続で大きな損失を受けた会社の将来を憂えた社員が一挙に全員が辞めてしまった。
会社を創業した日と同じ、広い事務所にたったひとり。誰も居ない事務所の椅子に両膝を抱えて座り、ボーとしていたら涙が零れて来て、悔しさや寂しさの出来事が頭に浮かんで、仕舞いには嗚咽になった。
会社を設立した当時に用意した2000万円の資金は無くなり、5000万円の借金だけが残った。
自分ひとりの力で、果たして返済できるのか、悩みと苦悩の将来は予測できたが、若いエネルギーだけは萎えることがなかった。
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